【相手のことを考える】
最近、父が亡くなって7年笑い話に父が出てくることが多くなってきました(^^)
そして、初めての子供であった長女の私を溺愛してくれていたのも分かってはいました、彼なりの愛情で
でも、それを踏まえても、本来なら嬉しいことが「ありがた迷惑」になったことを最近何故か、よく思い出します(笑)
そう「自転車」が欲しくて、おねだりした際に
何を思ったか、
たぶん、彼はこれこそ最高と思ったんだと思うけど……
当時、まだ珍しかった五段変速の前屈みの青い()自転車を買ってきた
女の子でまだ、自転車に乗れてもいない私に
そして、言い放った
「どや、カッコええやろ」
………。
ちーん(笑)
薄笑いを浮かべながら、
「え〜、でも、みんな女の子が乗っているU型の自転車が欲しかったなぁ〜」
と、当時、あまり親に反抗していなかった自分が言えたのは、その程度だった
そう、父親は、男の子が欲しくて、
でも、可愛がってもくれ、
だけど、時々、背が高かった私を
男の子のようにしようとすることがあった
だから
ズボンを履いてると機嫌良かったり
髪の毛も、いつも、ベリーショートだったし……
私は、当時、背も高かったこともあり
普通の女の子がしていた
髪の毛も長く、
花柄のワンピースを来たかったのに
何故か、
カッコ良さを幼稚園児の時も求められていた気がする
で、自転車
当時、珍しかった、前のめりハンドルの五段変速の自転車は
当時の男の子の憧れでもあり、
「ええなぁ、カッコええわ〜」
というのは近所の男の子
そして見に来ていた
足が届くか届かないかぐらいの初めての自転車で、
しかも、すぐに足をつけないことに
U型の自転車を恨めしそうに見ながら
父は、気乗りのしない私にハッパをかけ、
なんとか、自転車の練習をさせ、
乗れるようになりはしたけど
嬉しさはなかったから、
あんまり、乗らなかった
せっかくの五段変速も1、2回しか使わなかった気がする
まさに、宝の持ちぐされ状態
そんな父はまたまた、やってくれたことがあった
当時、音楽教室に通ってた私が
「シンセサイザー、欲しいなぁ〜」と言ったら
ある日、新品のシンセが届いた
ン〜、ちょっと形が〜と思いながら、包みを開けると
その物体には、何やらボタンがいっぱい
そもそも単純に音が出ない(笑)
ボタンで〜型や△の図形から選び、ボタンを回し、音を作るところから〜って
え〜、1つの音作るのに、一回一回どれだけ時間かかるの
当時、シンセサイザー出始めだったから、
結構お値段もしたけれど
とこれまた、お蔵入りになったが
その強制的なお陰で(?)
音の成り立ちはわかったが……(笑)
何故か、実家にいた時に
女の子特有のフリフリをさせてもらったことはなく
小学生の模試も、突然父が申し込んできて
いきなり一人で場所もわからないのに行かされるし…
私は、常に、か弱い女の子に憧れ、
でも、ずっと、それを許してもらえなかった生活環境にあった気がする
そして、こうなった(笑)
それでも、
私がコンサートをした時
音楽好きの父が、誰よりも熱心にビデオを
撮ってくれ、
喜んでくれたことは覚えている
が、どうせなら、
相手である私が喜ぶことをして欲しかった
そして、分かるけど、自分の理想を押し付けては欲しくなかったと
過ぎ去った日々においても思ってしまう
なかなか、親となってからは気持ちも理解できるけれど、
子供は親の所有物ではない
よくグレなかったと、過去の自分を少し褒めてあげたい気持ちと
せっかくなら、同じ相手のことを思うなら
相手が喜ぶことをしていく方がいいですよね〜とつくづく(笑)
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